夏になるとクローズアップされる土用の丑の日ですが、実は年に数回あります。 土用とは立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間のことで、その中の丑の日(十二支の中の丑)を「土用の丑の日」と呼びます。 丑の日は十二支を1日ごとに割り当てていくため、12日毎に1度回ってくるので、年によっては土用の期間に丑の日が2回くることもあります。 最近では冬でも土用の丑にはうなぎを食べるという機会も増えてきているようです。
諸説ありますが、主に有名なのが 江戸時代の蘭学者であった平賀源内説。 客足の少ないうなぎ屋から繁盛の妙案はないかと相談を持ち掛けられ、 丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という俗説を引用して、 今日うなぎを食べると良いという意味で「本日土用丑の日」という看板を店先に出し、大繁盛したのがきっかけで根付いたと言われています。
江戸時代には、毒消しの意味合いから山椒しょうゆや山椒みそによるつけ焼きが主流だったようです。山椒の独特な香りがうなぎの味を引き立たせ、風味を良くすることから、後にたれを付けて焼く蒲焼が主流になってからも、うなぎに山椒というのが定番になりました。また、山椒には胃酸に作用してうなぎの消化を助ける効果もあります。 うなぎが育つ水の綺麗な源流には、わさびや山椒も生育しており、 同じ環境で育つ両者だからこそ、食べ合わせの相性が良いのではないかという話もあります。
捨てるところがないといわれるうなぎには、頭、内臓、骨を使った料理が数々あり、 定番の食べ方から、各地方で生まれた郷土料理など多種多様な食べ方があります。 これを機会に知らなかったうなぎ料理に挑戦してみるのもいいかもしれません。 蒲焼 うなぎを開いて頭と骨を取り除き、たれをつけて焼いたもの。 うな重/うな丼 ご飯の上に蒲焼を載せて、たれをかけ、山椒を振って食べる。 重箱に盛り付ければうな重、丼にもりつければうな丼になる。 白焼 たれをつけずに焼いた身に、わさび醤油、ポン酢や塩などをつけて食べる。 う巻き(鰻巻き) 卵焼きにだし巻き卵を作る要領でうなぎを巻き込んだもの。 ひつまぶし 名古屋名物のうなぎ飯の一種。名古屋市熱田区の「あつた蓬莱軒」が登録商標している。 一杯めは、ご飯とうなぎを混ぜ、そのまま食べる。二杯目は、わけぎと海苔の薬味をいれて食べる。 三杯めは、出汁とわさびを入れてお茶づけにして食べるというように、一度で三度違う食べ方を味わうことができ、名古屋の人気ご当地料理となっている。 せいろ蒸し 福岡県柳川地方を中心に九州北部ではポピュラーな食べ方。 柳川の城主が冷えた鰻重を暖めなおす方法として始めたとされ、 うなぎの蒲焼きと、タレを混ぜ込んだご飯を蒸篭で一緒に蒸して調理したもの。 錦糸卵を乗せて食べるのが一般的。 肝吸い うなぎの内臓部を吸い物の具にしたもの。主に胃を使用する。 肝焼き うなぎの内臓部を串焼きにしたもの。 うなり寿司 愛知県豊川市の新名物で、語源は「うなぎ」と「いなり」の合成。 稲荷寿司をひっくり返し、うなぎの蒲焼きを切ったものがのせてある。 半助(はんすけ) うなぎの頭部のこと。つまみにしたり豆腐と一緒に煮込んで食べる。 ぼくめし 浜名湖周辺独特の調理法で、うなぎとごぼうなどを煮たものを ごはんに混ぜ込んだり、載せて食べる。 養殖場で太い棒杭(ぼっくい)のように太くなってしまった商品価値の低いうなぎをまかないとして食したのが始まり。 うなぎ茶漬け 白いご飯の上にうなぎの蒲焼きをのせ、ねぎやわさび、のりなどの薬味を混ぜてだしをかけて食べる。 かぶと焼き うなぎの頭部を串に通し、たれを付けて焼く。 ウナギの肝うざく 焼いたうなぎの切り身や内臓ときゅうり、みょうがを和えた酢の物料理。 握り寿司 うなぎの蒲焼きを握ったもの。酢飯との相性が絶妙。 フライ 欧米では一般的な食べ方で、白身魚と同じようにソースなどをかけて食べる。
うなぎの歴史を辿っていくと日本では奈良時代の万葉集に「武奈伎(むなぎ)」として初めて登場しています。 その後平安時代後期まではうなぎは「むなぎ」と呼ばれていたようです。 「うなぎ」という語形は院政期になって登場し、その後は「ウナギ」で定着したと言われています。 うなぎの語源となった言葉は諸説あり、どれが有力なのかは未だはっきりしていません。 家屋の「棟木(むなぎ)」のように丸くて細長いから うなぎの胸の部分は黄色っぽいことから「胸黄(むなぎ)」がうなぎへと変化した 調理時に胸を開く「むなびらき」から 鵜飼の時に、鵜が飲み込むのに難儀することから「うがなんぎ」→「うなんぎ」→「うなぎ」となったという江戸の小噺から 身が長い→身(む)長(なぎ)で「むなぎ」となった ちなみに、漢字の「鰻」という字のつくりの部分の「曼」には「つや」とか「長い」という意味合いが含まれており、 つやのある長い魚ということからこの漢字ができたのではないかと言われています。 またこのつくりの部分を分解すると日、四、又となりますが、1日に4回股を使えるぐらいの精力がつくという冗談のような話もあります。
今と違い、蒲焼が生まれた当初はうなぎを輪切りにして縦に串刺しにして焼いていました。 その様子が、蒲(がま)の穂に似ていたため蒲焼となったのではないかと言われています。 また、樺色(かばいろ)に焼きあがるその様子から、「樺色焼き」と呼ばれたことが語源になっているという説もあるようです。