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さいががけ
犀ヶ崖
三方原の戦いと徳川家康にまつわる史跡
元亀3年12月22日、三方原の戦いで武田信玄の軍に大敗し、浜松城に逃げ帰った徳川家康が一矢を報いる為、その夜犀ヶ崖近くで夜営する武田軍を急襲したと いわれる場所。地の利に不利な武田軍は混乱し崖から転落、多くの死者を出したといわれる。同所には自ら家康の身代わりとなり討ち死にした夏目次郎左衛門吉 信の石碑や、徳川軍の撤退時に殿を務め壮絶な最期を遂げた本多忠真の石碑が建てられている。また、犀ヶ崖伝説や犀ヶ崖のたたり、そして遠州大念仏への派生 など、この地にまつわる諸話諸説は多く、資料館も併設されるなど三方原の戦いにおける古戦場として静岡県の史跡に指定されている。
  • 犀ヶ崖(さいががけ)
  • 静岡県浜松市中区鹿谷町25-10
  • 053-472-8383
  • 名所・史跡
本田肥後守忠真顕彰碑
本田忠真は徳川家草創期を支えた徳川四天王の一人で、三方原の戦いで武田軍に大敗した徳川軍のしんがりを買って出て、39歳で討ち死にしたと伝えられています。碑の題字は徳川家16代家達公によるもの。